BLACK ESCAPE

Roppongi Express所属 / 強豪選手たちに囲まれもがき苦しむ日々をブログに

2020年シーズンの課題

沖縄で永瀬さんの年間走行距離を聞いて驚愕した。
とにかく距離を乗り込んでコンディションを上げていくキクと、とにかく短期間高強度で仕上げていく永瀬さん。同じ140kmカテゴリのWエースなのに調整方法はこれでもかと言うくらいに正反対。というか10月はチーム全員が乗り込むので永瀬さんがかなり特殊なのか。ちなみに年間走行距離はキクの10月走った距離+αくらいらしい。マジか。

狙ったレースに最短距離かつドンピシャでコンディション合わせる能力が半端ないというか超効率的。今回もレース翌日の朝には早速自転車片付けて「次乗るのはいつかな〜」なんて言ってたからまた長い冬眠期間に入るんだろう(笑)。ある意味で永瀬さんの調整方法が非常に勉強になった。

f:id:satoru-itabashi:20191118104632j:image

今年の沖縄が応援のみだったせいで自分のオフシーズンの境界線が非常に曖昧なまま。とりあえず来月のレースに1つエントリしたけど、去年・一昨年の様な「今年も一年が終わったな」という感覚は無い。やっぱり沖縄のレースに出なければ締めとして弱い。誰のせいでも無いDNSだったから悔いがあるとかそんなのでは無いのだけど。

+ + + + + + + + + +

2020年シーズンのトレーニング方針

さて、今年はどうしようかと考える。
レースプランではなく、単純に沖縄へ標準を絞った一年としたい。そうなると必要なのは以下3つ。いや、分かってたけど全部嫌いなので避け続けていた内容か。

①インターバル耐性
有酸素運動が嫌いで疲れるスポーツが嫌いな自分にとって自転車競技になぜここまでハマっているのかは未だに不明だが、インターバル耐性は沖縄のレースに限らず鍛えないといけない。これは永瀬さんの話を聞いての影響が強いかも。チームメイトのクニの様に苦痛なローラーで追い込める能力を持ち合わせていないながら、やはり短時間高強度のトレーニングはローラーに頼るのが一番効率的か。外だと意識フラフラで事故りそうだし。

なのでこれはZwiftのワークアウトで少しでも気を紛らわせながら実行する事にしよう。ワークアウトだと周りに人がいるので一人淡々とやるよりはサボりづらくなるし、自分で作成するメニューよりZwiftの様なしっかりしたメニューの方が効果も高いだろう。何より自分でメニュー作るとあまりの辛さに怠けて「次回はもう少し楽なものにしよう・・・」という悪しき習慣に陥る。

②ロング耐性
100kmとかではなく150〜200kmくらいの本数を増やしたい。というか増やす。沖縄の100kmレースが3時間だとすればその1.5倍にあたる4.5〜5時間くらい走る機会を多くしていかないと話にならないな。今年一年間は100km超える距離の本数を伸ばしたものの、実際のレースが100kmに対して同じ距離を消化するのではなく、バッファーを持たせた距離の走り込みが必要だなと。

同じ動作を長時間行う(自転車に長い時間乗る)事が嫌いという性格上の問題が最大の敵か。①でも書いたが自転車競技になぜここまでハマっているのか、最早ミステリーの領域。

ヒルクライム耐性
登りも嫌いなら下りも嫌い、という事でヒルクライムは無条件で嫌い。たぶんこれは永遠に嫌い。いや、ほんと自転車競技になぜここまで(ry。

しかしこれももっと向き合わねばという事でこちらもメインはZwift頼みにする事に。どちらかと言えば完全な実走派だったけど今年はローラー機会多くなりそうだな。ものは試しと連日で「Alpe du Zwift」登ってみたりしたけどこれは良い。都内だと1,000m登るのにそこまでの移動とかで随分苦労するがZwiftなら開始10分以内で山へ行ける。しかもL'Alpe-d'Huezという世界屈指の超級山岳に。

f:id:satoru-itabashi:20191118104659j:image

映画見ながら淡々と走っていただけだが登らないよりはマシ。という事で今シーズンは定期的にAlpe du Zwiftへ向かおうと思う。まあZwiftだとダウンヒルの練習には一切ならないので実走での機会も同様に重視しなければいけないけど、とにかく昨年までに比べてトータルの獲得標高は飛躍的に伸ばせるだろう。何より足を一切止められないので長い時間踏み続ける練習にもなる。

上記3つが今年のメイン課題。
嫌な内容にも立ち向かう、そんな一年を過ごしたい。
当たり前か。

+ + + + + + + + + +

母親の還暦祝い

去年に父親の還暦祝いをして今年は母親の還暦祝い。
自分はだいたい15分/杯のペースでビールを飲むが、それとほぼ同じペースで日本酒を飲む父親。母親は下戸だったはずだが50歳過ぎて急に覚醒し始めたし、自分も元々は下戸だったが20歳からのゴールデン街で鍛えられていつしか人並みには飲める様に。仙台で暮らす弟もそれなりに飲むのでただの飲んだくれ家族である。

といっても我が家の場合、家族で飲む機会はほぼ皆無。むしろ去年の父親の還暦祝い以外で一緒に酒を飲んだ事は無い。なので今回が人生二度目。そして還暦祝い以外飲む機会がないのでこのままいくと人生最後の家族4人が揃った食事になるのか。いや、それは避けなければ。仲は良いのだけど未だに両親の電話番号を知らないという不思議な家族。わざわざ聞くのも恥ずかしいので聞かないけども。

家族が集結すると母親も喜ぶので良い機会にはなったかな。次に全員集まるのが両親の葬式とならない様に頑張ろ。

+ + + + + + + + + +